市役所職員35年間の思い出

1988(S63) 札幌市役所奉職
1988(S63).04〜1989(H01).03◆建築指導部指導課相談係
1989(H01).04〜1991(H03).06◆建築指導部指導課道路審査係
1991(H03).07〜1996(H08).03◆建築部建築工事二課建築工事二係
1996(H08).04〜1999(H11).06◆総合交通計画部交通計画課施設係
1999(H11).06〜2001(H13).04◆地域振興部区政課施設係
2001(H13).04〜2005(H17).03◆建築部建築企画課技術管理係
2005(H17) 係長昇任
2005(H17).04〜2009(H21).03◆都市計画部都市景観係
2009(H21).04〜2013(H25).03◆建築指導部建築安全推進課調整担当係
2013(H25).04〜2015(H27).03◆管財部工事管理室建築検査係
2015(H27).04〜2016(H28).03◆文化部市民交流複合施設担当課建築担当係
2016(H28).04〜2019(H30).03◆地域振興部区政課施設整備計画担当係
2019(H30) 課長昇任
2019(H30).04〜2020(R02).03◆札苗まちづくりセンター
2020(R02).04〜2023(R05).03◆教育委員会整備保全担当課
2023(R05) 定年退職
1988(S63) 札幌市役所奉職 
1988(S63).04〜1989(H01).03 ◆ 建築指導部指導課相談係
〇業務内容:住宅相談、建築許可関連業務
●仕事はもちろん、役所の人づきあいのイロハまでしっかりと叩き込まれました。でも、一部の人たち限定というのもあったような・・・。
山鼻地区のマンション紛争で建築審査会や裁判まで進んだ案件の佳境で、主婦の皆さんのパワーに触れた(後に本まで出版した)のも思い出深いです。それにしても、新採用を相談業務に配属なんて異例だとは思いますが、民間経験者だからだったのでしょうか。
【Episode-01】
ダイヤル式で「リリーン」と鳴る相談専用回線の電話がありました。住宅相談は、これから家を建てる人のための相談のためなのですが、実際には建築業者への不満などの電話がほとんど。ちょうど「欠陥住宅」なんていうコトバが流行り始めていた頃でした。あとは、ココロの病気かな?と思われる方からの電話も多く、平屋なのに「二階から足音が・・・」という電話に2時間お相手なんということも頻繁に。
【Episode-02】
「子どもが壁に小さい穴をあけてしまった。修繕業者に頼んでも結構かかるし、どうしたらよいか」という相談に、「気にするから気になる。その穴が見えなくなるように、ダミーのコンセントプレートでもつけておけばいいのでは」と回答した方、数日後に「発想の転換で安く直すことが出来ました。ありがとうございました」と、ケーキを持って窓口に。いい時代でした。
【Episode-03】
建売住宅購入後、不満続出の方の相談。聞けば、とにかく安かったので決めたのだそう。「さんまを買うのに、10円違いのためにチラシを見てあっちの店とこっちの店を見たりする努力をできるあなたが、どうして2千万の買い物を勢いで決めちゃうの?それはあなたも悪いでしょ!」なんてズケズケと言ってしまったり。係の先輩は「説得力ある名言」と言ってくださいましたが、相談者は怒っていたようです。そんなことが何度もあったためか、1年で異動となってしまいました。
1989(H01).04〜1991(H03).06 ◆ 建築指導部指導課道路審査係
〇業務内容:建築確認や不動産取引のための道路確認業務
●係の皆さんが個性的な方が多く・・・(もうわかる人も少なくなってきましたが、とにかくスゴいメンバーでした)。
【Episode-01
都市計画法第53条許可で悪質な違反があり、是正指導等の対応をする必要があったのですが、違反建築だから監察課、都市計画道路だから交通計画課、いやいや許可は道路審査でやってるんだから・・・と、仕事の押し付け合い。課長会議までやることに。役所ってスゴイなぁと思ったのでした。
【Episode-02】
係には、少しばかりココロの病気をお持ちだった方も居て、その方は、被害妄想の傾向があるようで、職場で誰かターゲットを決めて、その人にどんどんと妄想をしていくのでした(前の職場でも同じことがあったそうです)。周りの人にあるコトないコトを言いふらしたり、窓口ローテーションを書いてある私の名前のところが針で刺されていたり。そんなのが1年以上続いたある日、朝にいきなり「オマエ、昨日も俺の部屋のスリッパ隠しただろう!!」と殴り掛かってきたのでした。私はその方がどこに住んでいるかも知らなかったのですが・・・。事件直後、事情聴取した職員部人事係長が、耳から出血していた私をいたわる言葉もなく、「加藤さん、このことは警察沙汰にしたり、マスコミには出したりしないでください」と言われたのを今でも憶えています。その後、その方は精神科に入院、2階に籍を置きつつ10年以上も休職復職を繰り返したのち退職されましたが、その方が退職されるまで、「身の安全のため、2階には出入りしないように」との指示をされていました。異動も2階以外。その方が退職後も、街ですれ違ったときに、私の子どもがいる前で「Kill You」と言われたり、数年後まで深夜の無言電話が続いたりもしました。でも、人事課は何もしてくれなかったなぁ・・・。 
1991(H03).07〜1996(H08).03 ◆ 建築部建築工事二課建築工事二係
〇業務内容:学校建築担当
●いろいろなこと(叱られるようなことばかり)やってました。
Kenchiku-Memory
1996(H08).04〜1999(H11).06 ◆ 総合交通計画部交通計画課施設係
〇業務内容:交通関係施設の計画等
●再開発、バスターミナルの都市計画決定、ターミナル事業の認可関係など、当時の建設省と運輸省への出張が多かった。(下っ端の私はカバン持ち)品川プリンスホテルタワー高層階の広い角部屋に、課長と係長と3人で泊まったりなんていうこともありました。
●地下鉄東西線延長により終点駅となる宮の沢駅にバスターミナルを建設するプロジェクトでした。民間商業施設との合築で、市が負担金を支払うという当時では珍しい事業方法でしたが・・・。
【Episode-01】
敷地は、札幌市のほか大部分はT建設が所有していましたが、T建設は商業者ではないので市との共同事業はしません。そのT建設が連れてきた事業者がMIデパートでした。当時、MIデパートは、これまでのデパート経営から市内各所でのスーパーマーケット展開を進めていた時で、この事業に参画することとなりました。合築建物の建設、バスターミナル事業経営等について市と協定を結んで事業を行なうこととなっていました。地下部分の工事がほぼ終わりそうだったある日、マスコミにMIデパートの粉飾決算」の記事が出ました。当時の社長が海外投資などの損失を隠蔽しており、これを計上すると大赤字の企業であったということが発覚しました。当然新規事業などできるはずはなく、バスターミナル建設頓挫の危機となりました。地下鉄延長に合わせたバスターミナル開業は市長公約でもあり、遅延は許されません。結局経営層の判断で、事業は三セクが継承し、Sスーパーが事業者ではなくテナントとして入居することとなり、工事が進められました。この事件の発覚から諸々の判断まで、部課長以下担当の私までが頻繁に市長に入ることになりました。方針変更の決裁の時には市長が窓から正面に見えるMIデパートを5分以上も無言で見つめた後に印を押すというような、まるでドラマのようなシーンもありました。バスターミナルは予定通り開業しましたが、かなりエキサイティングな事業となりました。
【Episode-02】
地下鉄宮の沢駅から地下歩道を通ってターミナルビルに入っていく通路にATMを設置したいとの協議がありました。ATM待ち客の行列が通路の通行に支障にならないようにと、通路に対して平行にATMを設置し、待ち列は横に並んでいくよう提案しました。図面なども書いて、案を示しました。壁に対して直角に設置してそれに向いて並んでいくのが当たり前だと思っていたATMの設計施工業者は「・・??!!」。2年後、その業者が異動先の職場に訪ねてきました。「あの後、いろいろな物件で同じような提案をしたら、今までATMが置けなかったところに置けたり、待ち列の苦情がなくなったり、スゴイことになってます。受注業績もアップしました。」とわざわざお礼を言いに来たのでした。発想の転換・・・大スキです。
 
1999(H11).06〜2001(H13).04 ◆ 地域振興部区政課施設係
〇業務内容:区政施設(区役所、区民センター等)の維持管理統括
●各区には施設担当係長と担当者がいましたが、事務職なので、技術職のサポートが必要とのことで新設された担当係でした。毎月の全区施設担当係長会議は会議後の飲み会必須でした。
【Episode-01】
白石区役所移転の用地(道新所有)について、急遽土地を買わなければならないこととなり、やっつけで改築の超基本計画を作りました。(かなりいいかげん&なんでも合築でスゴイ建物に!)土地購入の起案もしましたが、次年度は本格検討するので、担当者を係長に変えることとなり、2年満たずに異動となりました。結局その後10年以上も保留になったんですけどね・・・。
他にも、北区役所と北24条市営住宅の建替え時の交換なんかは、結構現実的な話だったはずでしたが、その後お蔵入りになったようです。あとは、中央区役所の話。これは言えない・・・。 
2001(H13).04〜2005(H17).03 ◆ 建築部建築企画課技術管理係
〇業務内容:建築部の業務全般サポート、RIBIC導入準備、工事安全委員会事務
●「工事担当者の下支えをしたい」という思いから、いろいろなことをやりました。やりすぎたかもしれません。当時は理解されなかったことも、今ではあたりまえになったことなどもあります。
職員安全研修として作成した工事の安全管理のパワポは、その後十年以上も使われていたそうです。
異端児の仕事
File 01 建築部職員ハンディキャップ体験
File 02 建築部職員研修(講演会)
File 04 建築部かわらばん
File 05 工事安全ニュース(受注者へメール配信)
 
2005(H17) 係長昇任
2005(H17).04〜2009(H21).03 ◆ 都市計画部都市景観係(景観形成地区担当係長)

〇業務内容:都市景観に関すること
●思いはありつつも、直接かかわることができなかった都市景観の仕事。思いがありすぎて・・・。
●景観法が制定され、法に基づく景観計画の策定や条例改正など、景観行政にとっては激変の時代でした。市民への普及啓発として、いろいろなことをやりました。やりすぎたかもしれません。
異端児の仕事
File 06 都市景観周知 (都市景観の夕べ)
File 07 都市景観周知 (with“U”・with you)
【Episode-01】
景観形成地区の届出物件では、設計者との協議により景観への配慮を進めていきます。大通に面したコンビニでは、色味を抑えたり、面積を小さくしたり、景観70色を取り入れてもらうことなどができました。
  
また、飲食ビルの看板にデザイン性を持たせたり、札幌駅ビルの壁面のテナント広告も「駅=旅=旅行カバン」のようなコンセプトを持ったデザインにしたり、
  
札幌資料館近接のマンションでは、景観の読み解きをしっかり行い、札幌軟石とテーマカラーの明確にするデザインとなりました。
 
いずれも設計者のデザインゴコロをくすぐるような協議の場を設けることが出来たと思います。これらが景観上の正解なのかどうかは見解の分かれるところかもしれませんが、行政が関わり景観を一緒に考えるという機会を設けたり、意識醸成をすることはできたのではないかと思います。
【Episode-02】
これまでの景観への取組を、法に基づく景観計画として位置づけるのはとても大変な作業で、多くはそのまま読み替えたり、文言修正をして少し発展させた感じにしたりでした。特に私の担当だった景観形成地区については、ほとんど議論をしないまま移行せざるを得なかったのですが、「そんなコトありえないっ!景観計画の起案にはハンコ押せませんっ!」ってガンバってしまいました。今から思えば、若気の至り(40歳過ぎでしたけど)だったかもしれません。
【Episode-03】
都市計画部全体の事業として、「都市計画の普及啓発:まち本プロジェクト」がありました。課を超えた部内若手のピックアップメンバーによるプロジェクトチーム。私は歳なのでオブザーバー参加。とは言え、このテのことは本業?なので、楽しく参加させていただきました。業務改善発表会「元気のタネ」第1回に参加、誰もやっていなかった寸劇での発表は、以後のこの発表会での定番となりました。
「ミニまち」を使っての、子どもへの都市計画普及事業では、プライベートでやった「マイタウン」がオフィシャルの事業となりました。
Kenchiku-Memory 
2009(H21).04〜2013(H25).03 ◆ 建築指導部建築安全推進課調整担当係
〇業務内容:「中高層建築物の建築に係る紛争予防条例」にかかる手続き、相談
●実効性がなく、形骸化している条例を見直しすべきと思い、条例改正を目標に掲げましたが、いろいろな「壁」が厚く断念せざるをえませんでしたが、その必要性は今でも感じています。
条例は、全国で紛争が顕在化してきたバブル時代にそれぞれの都市が手探りで作ってきたという経過があり、運用については各都市とも少なからず問題を抱えているという実態があったことから、政令都市で同様の条例等を持つ都市に呼びかけて連絡会議を主催しました。各都市、予算外の出張となってしまうとのことなので、関東圏の集まりを東京で、関西圏の集まりを大阪で開きました。それぞれ悩みをお持ちで、「以後も情報交換していきたいね」という言葉は出たものの、以後は誰も幹事を引き受けることもなくそれっきりになったようです。
異端児の仕事
File 03-1 紛争解決の新たな取組み(中高層条例)
File 03-2 紛争解決の新たな取組み(中高層条例) 
2013(H25).04〜2015(H27).03 ◆ 管財部工事管理室建築検査係
〇業務内容:札幌市発注工事の検査、共通単価の管理
●自分の知識や経験を活かすことが出来、満足感のある仕事でした。「厳しすぎる」との業界のウワサもあったようですが・・・。
【Episode-01】
年度末は相当な数の検査を行うことになります。異動内示が出ても、いつもどおりの検査なのですが、その日検査した工事は、工事の仕上がりも書類整理も他に例がないほどすばらしく、検査が終わってから業者さんに「すばらしいですね。お手本となるような内容です。」とお伝えしたのですが、現場代理人さんがこれに応えて「加藤検査員、すみません、ちょっといいですか。異動されるとお聞きしました。お世話になりました。この2年間、何度か加藤検査員の検査を受けてきたのですが、最初はやたら細かくて厳しいなぁ、参ったなぁと思っていたのですが、検査のたびに指摘事項について、何が悪かったのかを丁寧に教えてくださいました。実は、社内で『打倒 加藤検査員!』などという目標を掲げて工事や書類の品質向上に努めてきました。今日、お褒めの言葉をいただき、本当にうれしいです。」と涙を流してお話しされました。私ももらい泣きをしてしまいました。忘れられないワンシーンでした。
【Episode-02】
ともすれば、対立の関係になってしまいそうな検査担当と工事担当。市民のために良いものを造るのが私たちの使命なので、対立していてはいけないと思っていました。そんな思いから、「検査のチェックポイント」というパワポを作成し、工事課職員への研修を開催しました。検査の手の内を明かしたということです。「検査は抜打ちテストじゃないんだから」です。業者への研修もやるつもりでしたが、志半ばで異動となり、残念でした。目的は「良いものを造る」からブレなければいいのだと思います。 
●2014年、全国的に若手技術者への技術や知識の継承が問題となっていることに対し何かできないかと考え、「けんけん広場」(“建”築職の”見”識を”広”める”場”)をはじめました。
異端児の仕事
File 09-1 けんけん広場(職員自主勉強会) 
File 09-2 けんけん広場(職員自主勉強会) 
2015(H27).04〜2016(H28).03 ◆ 文化部市民交流複合施設担当課建築担当係
〇業務内容:札幌市市民交流プラザ建設プロジェクト
●前職場の工事管理室は3〜4年が異動周期なのに、2年で異動。音楽ホール建設プロジェクトということで、どなたかが、音楽をライフワークにしている私を担当にしてくださったのだと喜び勇んで異動したのですが・・・。
【Episode-01】
上司から、「あなたの言うことは、いつも間違っている」「あなたのような生活レベルの人には、このホールの必要性などわからんだろう」「そんな低俗な音楽を聴いているから、このホールのことをわからんのだ」。関係者との会議の場でも、私の発言の後、「今の加藤の発言は無視してかまいません」等々の言葉を浴びせられました。理由もなく担当業務から外され、上司と部下が私の知らない打ち合わせに出かけ、事務所にひとりポツンと残される日々。部下がどこに何の出張に行ったかも知らされない・・・・挙げればきりがありません。存在や人間性をも否定されるような扱いだったと思います。
毎朝、時計台の前のベンチに座り、職場に行きたくないという気持ちを、なんとか奮い立たせて出勤する毎日でした。なんとか持ちこたえましたが、よく壊れなかったなぁ・・・。
結局、ホールの完成を見ることなく、2年で異動となりました。残念。 
2016(H28).04〜2019(H30).03 ◆ 地域振興部区政課施設整備計画担当係
〇業務内容:区役所等の建替計画の策定、区政施設の維持管理支援
●区役所の建替関係は担当課が別にできたので、もっと先の構想レベルの検討をしていましたが、そちらはそれほどウェイトは高くなく、区政施設の維持管理支援のほうがメイン業務でした。
●修繕などは、区役所発注の少額工事として対応しますが、区の担当者は事務職なので難しいところもあったため、私が図面を書いたり、積算をしたりしました。建築部より建築らしい仕事だったかも。
【Episode-01】
事務職である区の施設担当者は、建物に関する知識がないので、「建築物の基礎知識」の研修を行いました。また、維持保全の予算もかなり少ないので、できるだけ業者に頼まず対応できるようにと、DIY的な視点でのお手伝いをしました。私物の電動ノコや電動ドリルなど持って各区を走り回っていました。そのうち、何名かの区の担当者も自分でやる楽しさを見出してくれたようで、アスファルト舗装の穴埋めを、ホーマックで材料を買ってきて施工する担当者も出てきました。いろいろな意味で楽しかったです。
【Episode-02】
まちづくりセンターの建替えでは、町内会が負担金を支払う地区集会施設も併設されます。区政課から建築部に設計工事を予算委託しますが、建築部では町内会の細かいケアが難しいことから、町内会の側に立って計画へのアドバイスをしていました。具体的には、部屋の広さを決めるために家具まで配置した図面を書いたり、色彩検討のためにパースを作成したりしていました。フリーソフト「Sweet home 3D」が大活躍しました。町内会関係者には感謝されましたが、建築部の担当者はやりづらかっただろうなぁ・・・。
【Episode-03】
全市的に大きな出来事になった「煙突アスベスト問題」。コトの発端は、某地区センターでボイラー点検業者から「これはマズイのでは?」との連絡が来たことからでした(結局この施設はアスベスト非含有だったのですが・・・)。すぐに各区の施設を廻り点検した(マスクもしないで点検していたので、かなりアスベストを満喫したと思う)ところ、ヤバイのが出るわ出るわ・・・。マスコミ対応も1カ月以上に及びました。また、一千万円ほどのアスベスト処分を数件、「緊急役務」として口頭指示で発注したりもしました。思い出深い出来事でした。
【Episode-04】
胆振東部地震で各区の施設に被害が出ました。地震の翌日から各区の施設を廻り、被害状況を取りまとめるとともに、1週間後には修繕や補修方法の検討、各区からの発注のサポート等を行いました。わずか3カ月の間に、数十件、億単位の発注準備をしたと思います。不安いっぱいの各区の担当者に、技術職としてチカラになれたのではないかと思っています。こちらもかなり思い出深い出来事でした。 
2019(H30) 課長昇任
2019(H30).04〜2020(R02).03 ◆ 札苗まちづくりセンター

〇業務内容:まちづくりセンター所長
●いちばんやりたかった仕事、まちセン所長になることができました。でも、何が悪かったのか、1年で異動となってしまいました。心残り、未練タラタラです。
異端児の仕事
File 08 とにかく“仕掛ける”まちセン所長 
2020(R02).04〜2023(R05).03 ◆ 教育委員会整備保全担当課
〇業務内容:学校施設の計画、維持保全
●定年までの3年間、思い入れのある学校建築に携わることが出来たのはうれしい限りです。でも、あれもやりたいこれもやりたいと思いながらも、何もできなかったように思います。でも、そのくらいでちょうど良かったのかも・・・。 
2023(R05) 定年退職 
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